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| 「元気と活力の青春歴史講座」 〜勇気と友情の物語「ユダヤ人難民救出」〜 |
| 樋口 季一郎 |
「〜勇気と友情の物語 ユダヤ人難民救出〜 樋口季一郎」として講座を行います。ユダヤ人難民を救出した人は杉原千畝さんが有名ですが、樋口季一郎さんもユダヤ人難民を救出した人であります。「困っている人を助ける」という樋口さんの行動は高く評価されていますが、元大垣市民(18歳〜49歳)であった彼の業績を知っている方は少ないのが現実です。彼の業績を顕彰する意味を込め本講座で取り上げました。
ハルピンの樋口さんのもとにある情報が舞い込んできました。満州国と接しているソ連領オトポールにナチスドイツの迫害を受けて逃げてきたユダヤ人難民が押し寄せてきている。シベリア鉄道を3000キロかけて満州国に助けを求めて入り込もうとしたところ満州国政府は入国を拒否した。そこで進退を窮して、マイナス15度のオトポール駅で野宿同然の状況でいる。という報告がありました。この難民たちは凍死してしまう。これは大変なことだ。と樋口さんは思いました。なぜ満州国政府はユダヤ人難民を入国させなかったのかというと当時、日本とドイツは友好関係にありました。ユダヤ人難民を満州国に入国させることは、ユダヤ人難民を救うということである。これはナチスドイツの政策に対して間接的に批判していることになります。 
しかし、樋口さんは満州国政府に対して憤りを感じていました。樋口さんは悩み苦しみます。助けてやれば友好国ドイツの政策を批判するものとして職を辞さなければならない。しかし、ユダヤ人難民は助けてやりたい。いろいろ考えた結果樋口さんは決断をします。決断してすぐ南満州鉄道総裁に電話をして満州国領満州里まで列車を出させ、オトポールから歩いて国境を越え、満州里まで渡ったユダヤ人は列車に乗せて救いました。
その後、案の定、ドイツからの抗議が来ました。樋口さんは、満州国にある関東軍総司令部からの出頭を受け、参謀長・東条英機(後の首相)に対して次のように述べました。
もしドイツの国策なるものが、オトポールにおいて、追放したユダヤ民族を進退両難におとしれることにあったとすれば、それは恐るべき人道上の敵ともいうべき国策ではないか。そしてまた、日満両国が、かかる非人道的なドイツの国策に協力すべきものであるとするならば、これは驚くべき軽侮であり、人倫の道にそむくものであるといわなければならないでしょう。私は日独間の国交親善と友好は希望するが、日本はドイツの属国ではないし、満州国もまた、日本の属国ではないと信じている。
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イスラエル政府が発行したゴールデンブック。
ユダヤ人に貢献した人の名前が記されており、
樋口さんの名前も記されています。 |
| サラリーマンの私としましても、本当にこれが大事だと思うことを実行するときには、いろいろな非難なり、想像できる場合もあります。最終的には自分の職を失うかもしれません。しかし、その状況下でも自分の信じるところを実行する。これは勇気のいるところであります。これからも私は樋口さんのような姿勢でいきたいと考えております。 |
| (以上講師三林の講義より) |
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