イチローが日米野球界に残している記録、パリーグ7年連続首位打者(1994年〜2000年)、日本人初大リーグ<アメリカンリーグ>首位打者(2001年)、1シーズン連続216打席連続無三振(1997年)などありますが、これらの記録はどのプロ野球選手も成しえなかった記録です。この記録を前にして皆さんは「イチローは『天才』だからこの記録がつくれたのだ」と思われている方もいらっしゃるかもしれません。本当にそうなのでしょうか。イチローのことをいろいろ見てみると、単に彼が「天才だから」という言葉では説明がつかないのです。イチローの練習の取り組みを見てみるとそれがわかります。
小学校3年生の時にイチローは野球をはじめます。小学校のクラブでは野球部がなかったので、スポーツ少年団に入ります。しかし、スポーツ少年団の練習は日曜日しかありませんでした。もっと野球の練習をしたいイチローは自営業をしていたお父さんに「学校から早く帰ってくるからお父さんと野球をやりたい」と相談します。 「そうか、それじゃ、おとうさんが毎日、夕方から相手してやるから、やるか。」 「うん、ぼく、やる。」 「よし、それならこれは男の約束だ。破るな。」 「破りません。」 そして、毎日、お父さんとの練習が始まりました。夕方はグランドで、夜は家の近くにあるバッティングセンターに行き毎日毎日練習をしていました。ではどのようにイチローは毎日お父さんと練習に取り組んでいたのでしょうか?後にこの当時を振り返ってイチローは次のように言っています。 小学校3年から中学校3年まで、毎晩お父さんと通いつめた空港バッティング(愛知県豊山町)この8番ゲートでバッティングの練習をしていた。 ―お父さんは「毎日、一朗と遊んでいたようなもの」とおっしゃっていますが。 イチロ― 父は外ではそう言うのですが、実際は遊びというのは綺麗ごとですね。そんなわけはないですよ。毎日が真剣で、父は必死で相手をしてくれていたし、僕にとっては苦しい時もあった。まあ、何年も続けていくと生活の習慣というか、学校から帰ったら必ず伊勢山グランドへ行って野球をすることが決まりになった。だからサボるという発想にはならなかったですね。たとえ、僕が行きたくないと言っても父は「必ず来いよ」と言って先に行ってしまう。その姿を見たら子どもでも遊んでられませんよ。結局、練習が始まれば楽しくなるし。 ―小学校時代の4年間があったから今のイチローさんがあるのではないですか。 イチロ― そう思います。一番大きな物を与えてくれたんじゃないかな。中学時代よりも、高校時代よりも。野球に必要な感覚を体に刻み込めたということですから。ボールを捉える感覚であったり、投げる感覚であったり、捕る感覚であったりするんですけど。父は野球のプロではなく素人だから、逆によかったんだと思うんです。型にはめられることもなかったし、僕のやりたいようにやれたので。僕なり、速い球を投げるにはどうしたらいいかとか、遠くに飛ばすにはどうしたらいいかとかということを考えながらやったので、それが良かったんでしょうね。 小松成美『イチロー・インタビュー Attack the Pinnacle』(新潮社、2000年) どうでしょうか。イチロー少年がどのように野球に取り組んでいたのかお分かりになったのではないかと思います。彼は真剣に練習量をこなしながら、「自分の頭で速い球を投げるには、遠くに飛ばすにはどうしたらいいか」と問題意識を持ちながら練習をしていたのです。ただ漠然とお父さんに言われるまま練習をしていたのではないのです。ただ量だけこなして、こなした量を振りかえって自己満足している姿はそこにはありません。 イチローは小学生でありながら、問題意識を持ちながら膨大な練習量をこなしていたのです。 |